takashisatoのここだけの話

仕事のことをたまに、普段考えるいろいろなこととか、近所の勝どきとか豊洲の話も

拝啓 バッシーさま

昨年末も末の31日の朝に携帯電話がなった。確認してみるとM社Y社長からの着信の履歴だった。電話をかけなおすと「悲しいお知らせがあります」の一言。
 
会社で何かあったのか心配になりながら聞いてみると予想外の一言が。
 
「バッシーがなくなりました」
 
バッシーとは、入社してなかなか社内に馴染めずにした頃Y社長がつけたあだ名でその後からずっと社内共通語なのだが、れっきとしたM社の取締役だった故IT氏のことである。(正確にはM社は上場企業なため会社側から1/5に12/30付で逝去による取締役退任したことが公式に発表された。)
 
彼とのやりとりはこの数年ではかなり長く深かかったため個人的に正直絶句した。
 
40代は人との別れに向き合うことで前に進む年代なのかなと思いながら40を超えて、一発目からなかなか辛いやつがきた。
 
普段は会社の人のことを決してあだ名や呼び捨てで呼ばない信条の自分も今回だけはバッシーという名前を積極的に使って故人を懐かしんでみたいと思う。新年早々のエントリーがこのような内容となってしまったが故人を懐かみつつ未来に向けて走ろう、ということでご容赦を。
 
バッシーとの出会いは、さかのぼること2009年か2010年のころ。彼は前職の大手ケームメーカー・KONAMIから当時10数人の中目黒にあったM社に転職してきた。
 
当時の彼は社内でのコミュニケーションに悩んでいるようだった。その後M社がサッカーゲームの飛躍のタイミングで自分がM社にコミットし、バッシーが担当していた社内側の多くの業務を自分が担当していくことになった。
 
そしてその後バッシーが本領を発揮していくことを傍で見て行くことになる。彼がプロ野球機構などゲームIP関連の契約を取りまとめたり、プラットフォーム事業の要だった決済系の契約をとりまとめてきたり、当時は外野から不可能だとまで言われたマザーズ上場までのbizdevの具体的な実務はほぼ彼が独占的に担当してきた。自分は彼のようなbizdevの具体的な実務を担当する人間と一緒にサービスを開発したり運営したり、組織作りを一緒にやったり、本当に幸せだった。上場前後から会社の要の人事・採用をやりきっていく。
 
彼とは私が入社前からずっと数ヶ月に一度のみにいくことが多い不思議な縁だった。私が入ったとき、当時はまだ彼が社内に確固たるポジションを築けていない頃よく話していたのは「私のような外様ではなくバッシーのような叩き上げと思われるぐらいの人のほうが中期的には会社を救うので早く役員になってくれないと自分がやめられない」というような偉そうなことばかり。今になって考えると8歳も人生の先輩に対してとても失礼なことをしてきたなあと感じるものだが、会社が中目黒にある時代は彼とハムカツが名物の大衆居酒屋によく行ったものはよい思い出だ。
 
そうした関係は私が2015年に退任するまでの間ずっと続いた。定期的に飲みに行き、怪しげな店にも行ったのはよい思い出だし、その間実に色々な話をした。とにかく気さくで年上から目線を全く感じさせないのだ。会社のことにも人生にも全力投球で粘り強く常に笑顔。それでいてどこか直感的で遠くを見ているような人。役員同士でカラオケに行くと「栄光の架橋」を肩を組んで歌うのが彼のスタイルなところがにくめない。
 
私がM社の取締役を2015年春に退任するとき、2014年の春ぐらいに最初に進退の話を部下にきちんと話したのはバッシーが最初だったと思う。そしてそのときがバッシーとサシで飲んだ多分最後の思い出だ。そのときのバッシーの一言が忘れられない。自分は、実によい部下というか、盟友と数年間にわたり働けたものだと感じたものだった。
 
最後にバッシーの姿を見たのは昨年の秋、ランチで久しぶりに社内を訪れたときの姿だったような気がする。バッシーは会社が上場して踊り場に差し掛かった会社のカルチャーを社長と一緒に考え抜いて嫌われ役をかってでてみたり、社長が心を許せるよき懐刀として最後まで役割を全うしたと思っている。
 
バッシーとまたいつか仕事の接点ができる日が来るのかなと思いきや、その思いは叶わなかった。それだけは心残りである。
 
先だったバッシーにいくつかのことを誓いたい。
 
バッシーとよく話したことで個人的に印象深いのは、何より仕事のことよりは家族や人生の話だった。「人生長期戦なんだ」ということをM社にコミットして最初に痛感したのはバッシーのような人間が活躍するシーンを見てからのことだ。それぐらいネット業界は成熟してきており、彼のような人間を生かせないとアイディアや技術だけでは10年以上通用する会社を作って行くことは難しい。
 
それまで年上恐怖症みたいなヒステリックな感情をもっていた私の心を解きほぐしてくれたバッシーに対し、今まで以上に「おやじ」「じじい」と向き合って仕事をしていくことを誓いたい。
 
来年は小学生になる息子がそばにいる。一方で四捨五入で75歳になる父親と離れて過ごす日はまだ続くが、きちんと家族とも向き合いたい。そんなことを感じた年末年始であった。(おわり)
 
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