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takashisatoのここだけの話

仕事のことをたまに、普段考えるいろいろなこととか、近所の勝どきとか豊洲の話も

シリアルアントレプレナーとして自分が今までやってきたことをふりかえる (その3 30歳ぐらいのころ)

前回からの続きです。第三回。以前の回を読まれていないかたはこちらから。今回からエフルートの話です。 

takashisato.hatenablog.com

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ビットレイティングスは、モバイルWebを主戦場として事業拡大を目指してスタートしました。表参道から西神田に移動していたICPの事務所の自動販売コーナーの一角にスペースを借りて会社がスタートしました。最初は個人で運営し既にMAUが5万人を超えていたEZweb向けのランキングサイトを生かし、それを会社の事業として多角化していく方針でした。
 
早速創業2ヶ月目にEzwebのオープンサイトの審査が通り(オープンサイトに掲載された検索サイトのうち2つを私が立ち上げたのは変な気分でしたが)「公式メニューに掲載される勝手サイト」という既得権を獲得し、そこからユーザーの増え方が変わりました。さらにその2ヶ月後、会社を設立するきっかけとなった噂のパケット定額制のサービス(WIN携帯)がはじまり、PV数がものすごい勢いで増え始めました。
 
とはいえ会社を立ち上げて3ヶ月目ぐらいがCFの底で資本金300万で立ち上げた会社は預金残高が30万円をきったりしましたが、その後は順調に回復しました。
 
ただこのタイミングで再び持病のアレルギーの疾患が悪化し体調を崩してヘルペスとなり、半年ほど実家で静養しながら事業の運営をしていくことを強いられてしまいます。入院中のベットでノートPCにAirエッジを接続して遠隔操作でapacheを再起動したり、広告枠の設定を切り替えたりしながら、少しずつサービスが大きくなり売り上げが増えていきましたが、とはいえ、社員2人で売り上げが300万程度でした。
 
そんなこんなで会社が少し軌道に乗り始めた2004年春、オープンサイトの掲載順位はユニークユーザー数で決まるのですが、2人で運営していた我々のサービスは、Yahoo!モバイル、BIGLOBEに次ぐ3位の位置にいました。当時広告主は消費者金融か公式コンテンツ事業会社でなかなか売り上げが上がらず苦戦していました。それだったら自分たちでユーザーを直接送客して公式コンテンツ事業を運営しようと思いました。増資して資本金を1000万にして体制を強化し、協業する会社にも恵まれ、2004年秋に公式コンテンツ事業が始まりました。
 
この事業がそれまでの広告事業とは次元の違う形で儲かりはじめました。社員が5人しかいないのに売り上げがどんどん増えていきます。またこのタイミングでEZwebの公式メニューの編成が大きく変わり、オープンサイトの掲載位置が優遇され、その後2006年6月まで、全盛期では1日2000〜4000人の流入を獲得することができるようになり、サービスは大きく成長しました。
 
これを機に会社を仕組み化して、ユーザー集客が通信キャリアに依存せず、収益も通信キャリアに依存しなくてもいい状況を作ろうと思い立ち、社会保険制度を整備して社員を増やし、開発者も本格的に採用し、間借りオフィスを飛び出し、事業拡大に突き進むことになりました。またこの過程で、創業から会社を支えてくれたICPから出向で来ていた渡さんにかわり、尾下さん(現アクセルマーク社長)という新しい経営パートナーに出会いました。
 
2005年になると、ネット業界が再び活気だちweb2.0ブームもやってきました。NILS(今のIVS)に参加するようになったのはちょうどこの頃です。モバイルwebにトラフィックが加速度的に集まり、それを謳歌するようなサービスとして、news cafeやモバオクのようなサービスも登場してきました。
 
directory型の検索エンジンと、ランキングサイトを母体に事業運営していた自分たちですが、またしても別の大手ネット企業から買収の話がやってきました。今回は5年前の10倍以上の金額でした。
このタイミングでは事業拡大期だったので、より大きな組織の中で戦うことでより大きな戦いができるのではと思い興味を持ちました。しかも一緒に働いて魅力的な組織に見えたので、立ち上げ屋としてはほぼ売却に傾いていました。
 
ただ独自事務所を構えたあたりから急速に人員が集まり始めたことで、自分と会社の仲間にもう少しかけてみようと思い立ち、その後買収の話を断ってしまいます。当時取締役になってもらった尾下さんと資金調達に動き、先行していたCROOZと同じくモバイル検索エンジンを中核にして事業拡大をしていくストーリーで最終的には4億円の資金調達をして会社のアクセルのスピードを速めます。
 
このタイミングで、海外製のクラスタリング検索エンジンの仕組みを導入したり、社内にいたスーパープログラマーと独自の検索アルゴリズムを作ったりして、検索エンジン事業に自分が陣頭指揮をとって前に進めていきました。(この頃いろいろ考えたメモが今でも自宅にも残っていて事業構築のネタ帳となっています)1年前に間借り事務所から独立した事務所も手狭になり、2006年4月に市ヶ谷に引っ越した一ヶ月後思わぬ事態がやってきました。
 
新型の検索エンジンの公開を一ヶ月後に控えた5月上旬のとある日、出社直後の私の携帯にとある方から連絡がありました。
 
「さとうくん、おわった。黒船が来たよ。止められなかった。」
 
google newsで「google KDDI」と検索すると「本日午後KDDIgoogleが業務提携のため六本木のグランドハイアットにて記者発表」というニュース記事を見つけたのでした。(つづく)
 
追伸
その4のブログを書きました。

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