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takashisatoのここだけの話

仕事のことをたまに、普段考えるいろいろなこととか、近所の勝どきとか豊洲の話も

大学生時代をふりかえる

この業界にもいくつか三田会が出来てきているように、慶應出身の同業者やらが普通にいたり新卒でネット業界に就職することは私が大学を卒業した数年前と比較すればずいぶん一般化したと思う。

よく同じ大学出身の人に「佐藤さんはsfcの人ですよね」と聞かれることが多いのだけれど、私は法学部政治学科出身であり、sfcとはなんの関係もない。

そっち方面で若干関係するのがメディアコミュニケーション研究所修了生であるということぐらいだ。

メディコムには私は3年から入所した。普通は2年生のときに入るので3年入所は難関試験だったらしいが、サークルの泊まり込みコンパとかいう変な飲み会の翌日だったため、テンションがハイになっていて、集団面接で適当なことを言うことが出来たのでおそらく入所することが出来たのだろうと思う。

そして入所した1997年の春に、Macの Preformaに出会い当時はじめて見たウェブサイトだった宝塚歌劇団のサイトに感動し、これは面白いと思ってメディコムのsfcの知人にいろいろとアドバイスをもらいつつ、法学部の学生でありながらワークステーションを操作しウェブサイトを立ち上げることになる。大学の授業に出ているとコンピューターセンター(当時は計算室と言った)のPCが他人にとられてしまうので、早起きして朝から計算室にこもり昼ご飯はジュースですませて夜の八時までHTMLをいろいろと打ち込んでサイト制作にいそしんだ。これが今日のネット業界での仕事のすべての起点となっているのだから、そういう意味では、メディコムに入所したのは重要な出来事であったろうと思う。

またこのメディコムの所属していたゼミが結構変な場所だった。私の同期は当時からFMのDJをやっていたH島さんであり、一つ下にはテレビ東京ワールドビジネスサテライトでキャスターをしているS藤さんとかがいた。大学を卒業後モバイル業界の話をしてほしい、ということで何度か大学に行くと、そこにはまだ学生時代の某局女子アナN野さんがいたりとまあよくわからない場所だった。大学生のころを振り返ると誰がその後社会人になって頭角を現すかなんてまったくわからないから、いつしかその時代の周りの評価やら常識みたいなものはいい加減だと思うようになった。

しかしそれ以外の大学生活と言えば、音楽サークルを適当にこなし、いろいろと変な友人はたくさん出来たが、よくあるような、海外留学したり、ネットベンチャーインターンしたり、そういうことは一切しなかった、普通の大学生であった。

私は大学生のときから、「sfcの人にはわからない価値観でインターネットの価値をとらえられるようにしよう」と当時よく考えていたが、それがエリートやネットリテラシーが高くなくとも(ワークステーションのことがわからなくても)、インターネットが自由に使える時代になってほしいと思うようになり、そのうちiモードが登場してこれがインターネットを庶民のものにしていく本命端末だと思うにいたり、今につながっているのかなとなんとなく思うので、sfcに行かなくてよかったと思う。

大学院に行く際に、sfcに行くことをかなり真剣に悩んだ時期もあったけれど、そうなると都内に住んでネット業界の仕事をこなしながら(当時は学生の傍らでいろいろと仕事をしていた)大学院に行くことは周りに迷惑をかけるのではないかと思い、一番妥当そうな三田にあった社会学研究科に行くことになった。修士論文を書いたとき「君の論文は日経BPようなところに所属する記者が書いたものと同じだけど、それが大学院にわざわざ進学しこのアカデミックな三田でやるべきことなのか」とこっぴどく叱られたことはよき思い出であり、sfcに行かなかったことをその瞬間だけ後悔したが、なんとか無事卒業できたし、選択は間違っていなかったのかなと思っている。

時代は変わり、そんな三田キャンパスの学食にも、モバプロのプロモーションが展開されているらしいということを先日聞いたので、今度機会があれば行ってみようかなと思っている。

追伸
今だったら多分sfcに行くと思う。

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