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takashisatoのここだけの話

仕事のことをたまに、普段考えるいろいろなこととか、近所の勝どきとか豊洲の話も

HDMLについて思うこと

自分のこと モバイル・ネットのこと

私がモバイル業界で仕事をするようになったのは今から11年前の1999年の秋のことだ。

今だからカミングアウトするけれど、当時慶應の大学院生だった私は、指導教授の授業ですら休みがちで学業はそっちのけでウェブサイト制作の仕事をしたりしていた。ちょっと奇抜な個人のウェブサイトを作ると、次第にウェブサイトを作ってくれ、という案件が舞い込んできたり、ウェブサイトの構築を請け負う制作会社の営業の人から連絡がやってきて(そういえばまだ高田馬場にあったkayacさんなどからも仕事をもらった)、ほっておいても仕事が舞い込んでくる変な時代がやってきた。

ただ、こんなことをして仕事をしていたところで、10年後ウェブ制作の仕事はゼネコン業界のような構造になり、それに従事したところで家庭教師のアルバイトと大して変わらない未来しかやってこないのではないかと思い悩んだ。一方でこのまま大学院を卒業したところで行く末に悩み、当時新卒採用をしていたサイバーエージェントの一般アルバイトの面接に出かけてみたり(突然副社長だった現スパイアの早川社長が出てきた)模索する中、ビットバレーのMLでHDMLという文字を見かけたのが10月末。これはHTMLの間違いなのではと思っていたら、その一ヶ月後自分がその仕事に従事することになってしまった。

※HDMLとは、EZwebブラウザーで標準サポートされてきたウェブサイト記述言語である。Handheld Device Markup Languageの略である。

当時まだグリーンタワーにあったphone.comで仕事をするようになり(偶然にも当時のグリーンタワーにはMTIが入っていた)、ますます大学院に行くことが困難となった。(後に休学して、ネットバブルで最も高い株価の頃のストックオプションをもらってしまい、仕事にコミットしてしまった)しかもモバイル業界は、その冬に発売されたドコモのiモード対応液晶端末と、着メロサービスの開始で、とんでもないことが起こりそうな雰囲気があった。phone.comもHPからの社員が次々に入社し、急速に組織が拡大している時代だった。みんな英語が話せるエンジニアばかりで、海外出張は行きたい放題、という異質な会社に私は当時最年少でまぎれこんでしまった。

私が入社した当時、HDMLは競合であるimodeのchtmlと比べて圧倒的に開発者が不足していた。電脳隊ぐらいしかその分野に詳しい人がいないとされた。皆imodeのコンテンツを作って、HDMLコンテンツを作ろうとしなかった。当時のchtmlベースの勝手サイトが1万以上あったのに対して、HDMLベースで作られたWAPサイト(正確にはWAPではないんだけど、当時はWAPサイトと言い張った)は150サイトしかない現状を変える、というのが私のミッションであった。

HDMLのコンテンツを誰も作らなかったのは、そもそもそれが何かよく知る人が少なかったというのも大きかった、そこで私が直接ディベロッパー(当時のコンテンツプロバイダー)に働きかけ、セミナーを行ったり、質問に答えたりして、とにかく人海戦術で一人でもディベロッパーを増やすのだ、ということになった。当時ポケットisizeを立ち上げまだリクルートに在籍していた、今はコロプラ副社長の千葉さんに会いにいったり、ギガヘルツに顔を出したりするようにもなった。少しでも魅力的に見せたり、HDMLサイトが急速に増えているように見せたり、、、いろいろ悩んだ。

しかし結果として、2000年夏にWAPフォーラムで従来のWMLの拡張をはねのけて、chtmlをベースとしたxhtmlが採用され、WAP2.0がhtmlと融合したものになることが決まり、HDMLの運命はそこで決まる。(WAPフォーラムの議長は当時phone.comの人間がつとめていたのでこのことはある意味驚異だった)

しかしHDMLやWMLにはなかなか面白い機能があり、chtmlにはなく低性能の携帯電話には都合のよい機能がいろいろとあったと感じた私はインプレスのケータイwatchで解説記事を書いたりした。当時日本国内でほとんど知られていなかったタイマータグやプリフェッチ機能タグなどを無理矢理記事にして上司から怒られたりもした。(これらの機能に代表されるいくつかのタグはchtmlにはそもそも実装されていなかったのだ)そもそもWAP2.0機種が普及するまでに、そこから2年ぐらいかかったし、この2年間の間EZwebのユーザーはものすごい勢いで増え、EZweb向けのHDMLサイトもかなり増えた。それを少しでもサポート出来たのかなと思った。


グローバルスタンダードとは、みんなで決めようということになれば、公立小学の授業の進度と同じで、最も遅い人たちにあわせようと言うことになりがちで、2000年当時最先端の日本国内の携帯電話の性能や求められるサービスクオリティにはちょっと適さなかった、今から振り返ればただそれだけだったと思う。グローバルスタンダードとは、勝てば官軍の世界で、確信犯で特定の企業や個人が圧倒的なシェアを確保して実現されるものなのだ、当時そう思った。(しかし今になって考えれば、世界が日本に追いついてきた、ということなのだろうか。imodeメールはSMSに統合されようとしている)

当時HDMLディベロッパーが少なかったため、仕様に詳しくなった私がHDML向けサイトを作ると簡単に人を集客することが出来た。当時HDMLサイトはほとんどが公式サイトばかりで、有料サイトばかりだった。日本のどこの誰がHDMLサイトを作っているかなどは多分当時日本でかなり詳しい部類に入っていたのではないかと思ったので、その知識を活用してWAP向け検索エンジンを作った。

これが私が今日にまで至るモバイルサイトの各種運営ノウハウの原点であり、perlphpを駆使してスクラッチからサービスを構築することを学ぶことにもなった。個人サイトとしてどのようにしてサービスを大きくするのか、どうやってのし上がっていくのかに真剣に悩み、次第にネットビジネスの戦略を学ぶことに傾倒していった。また当時、楽天系のいろいろな人と出会ったり、VCの人と知り合いになり、自分の仕事の範囲が大きく変わっていく。

しかし、そんなこんなで、この秋でこのHDMLについてこの日本から対応機種がなくなる、というのはとても感慨深いなあ、と思った。
それこそが私のモバイル業界でのすべての原点だったし、その原点が変わるというのは、とても重要な分岐点にあるように思えてならない。

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