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takashisatoのここだけの話

仕事のことをたまに、普段考えるいろいろなこととか、近所の勝どきとか豊洲の話も

みんなのアプリ履歴を作ってみた

モバイル・ネットのこと 仕事のこと

アプリ検索ナビ・AppCube・Android版をリリースして10日ほど過ぎました。この10日間の間に、Android向けのアプリの様々な改修やチューニングを実施しました。ユーザーさんの動き方をリアルタイムに監視しながらメニュー名の並び方から、表示名、その他pushのチューニングに至るまで日々改修を行っています。ネイティブアプリは、インタラクティブなサービス体験こそが命なので、その部分のチューニングは正直きりがありません。

 

最適化ばかりやっていてもつまんないので、なんかひねったサービスをということで、新しいメニューを作ってみました。その名も「みんなのアプリ履歴」です。このメニューはAppCubeの利用者がどんなアプリに興味を持っているかを可視化する目的で作ってみました。精度に自信があるアプリ検索はまだまだ本格的に使われ出すのに時間がかかりそうですが、アプリをパラパラみるニーズはありそうだったので、どんなアプリを覗いているか、という部分に絞って作ってみました。これはランキングとは違う付加価値があり面白い。

prtimes.jp

もちろん個人が特定できないような仕組みになっています。AppCubeはストアで配信されているアプリを様々な角度からスコアリングしているのですが、このスコアリングの一定の閾値以下のアプリ(個人や特定団体でのみ使われそうなアプリで利用者が特定されてしまいがちなもの)を出さないようになっていたり、ほかもいろいろと工夫があります。

 

ちょうど10年ほど前、モバイル検索エンジンを作っていたときに、「検索生中継」というサービスを作っていたことがありました。このサービス、ケータイのユーザーに好評だったよりは、どちらかというとマーケッターの人に評価されたサービスでした。

モバイル検索 - モバイルな社長のモバイル最前線

 

そのときのことを思い出しながらみんなのアプリ履歴を作りました。

 

ちょっと口コミっぽいけれど、情報が整理されていて信頼できるアプリ情報サービス、そんな世界を目指しながら日々サービス改善を進めていきたいと思います。

 

おかげさまで各種指標は全然悪くないのですが、単純に「アプリ出した、ユーザーきた、でっかくなった」というような単純な状況ではないので、ここから血の滲むような細かい改善を積み重ねつつ、あせらずじっくりやる、という感じになりそうです。今準備中のiOS版が出てからが本番ですかね。

 

ご心配をおかけすることもあるかと思いますが、気になることがあればお気軽にお問い合わせください。また叱咤激励もお待ちしています。

いよいよリリースします

モバイル・ネットのこと
明日半年間かけて開発してきた新サービスAppCubeをリリースします。いやあー、この半年間はいろいろありました。そして今日もいろいろありましてリリースが明日になりました。そして明日から挑戦のはじまりです。今まで以上に注力していきたいと思います。
 
またこれに先立ちコーポレートサイトに記載しましたが、先週末新たに4960万円の資金調達を実施しました。今回新たに外部株主としてビットアイル寺田さん、元gumi堀内さんなどにも参画いただきました。外部からの資金調達額の総額は6月初めに実施した分とあわせて8410万円となりました。サービスリリース前にこの規模まで資金調達ができたことを幸せに感じるとともに大きな責任を伴っての船出となっていることを深く認識し、業務に邁進していきたいと思います。
 
追伸
最後に、この半年間付いてきてくれたメンバーのみんなへ、おつかれさまでした。まずは最初のマイルストーン通過ですね。
 
追記

シリアルアントレプレナーとして自分が今までやってきたことをふりかえる (最終回 未来編)

本日この秋リリースする新規事業Appcubeの事前登録を開始しました。
 
現在アプリ版、web版の開発を進めており、順次この秋リリースされます。今回はシリアルアントレプレナーとしてここから何をしていきたいのか、ということについて、一部インタビューで紹介された部分もありますが、決意表明してみたいと思います。
 
考えてみれば、自分がこれまで15年かけてやってきたことは、モバイルインターネットサービスのインデックスを作り、コンテンツと利用者を結びつけることでした。それがあるときは検索エンジンであったり、アドプラットフォーム事業であったり、ゲームプラットフォーム事業だったりしたわけです。
 
今回スマートアプリでは、このインターネット上のコンテンツの流通という部分で重要な役割を果たしているアプリ配信という仕組みに、自分なりにできることをやりきって、すこしでもアプリ提供者とアプリ利用者との間に立って双方にとっての付加価値を作っていこうというものです。
 
それは、アップルやグーグルがやればいいのではないかという人もいます。
 
そうです。彼らがやってもいいのです。
 
ただ私は、OSや端末やエコシステムの区別なく、自由にアプリが流通できる仕組みを作っていく側の世界に加担していきたいと考えています。いまあるアプリ流通の仕組みは、配信・検閲・決済のすべてをシリコンバレー(アメリカ)の法律をベースとしたルールにのっとってプラットフォーマーが制御していく仕組みになっていて、それはそれで「グローバルスタンダードとして全世界向けに画一的で標準的なプラットフォームとして展開できる、利用できる」という良いところもたくさんありますが、これをよりよくする外野の応援団(これこそがサードパーティの本質的な価値)として自分たちの立場があるべきではないかと思っています。
 
説教くさくて青臭いですかね。はい。
 
ただ、正規版ストアに対抗していこうというよりは、単純にもっとアプリの流通を加速させていく仕組みを正規版ストアと連携させて作っていく、このことだけにこだわって眈々と事業作りを進めていこうと思っています。
 
おかげさまで内外いろいろな方からの支援も得て事業推進できることはとてもありがたい話です。がしかし、まだ今年の5月に生まれたばかりの会社で、わずか4〜5人でやっている会社です。「枯れた技術を存分に活用しよう」「徹底的なマーケティング活動を展開しよう」「徹底して洗練された体験をユーザーに提供しよう」を合言葉にこの3つの方向性のバランス感を事業の根幹においてやってます。
 
これまでの自分なりの経営経験や事業経験を全力で投入することで、非常識な事業立ち上げ事業拡大を目指していますが、それでも様々な皆様からの協力あってのことと考えています。また一緒に参画してくれる仲間も適時募集中です。
 
今後ともよろしくお願いします。

シリアルアントレプレナーとして自分が今までやってきたことをふりかえる (その5 30代後半ぐらいのころ)

仕事のこと 自分のこと モバイル・ネットのこと
第5回となりました。今回から「アントレプレナーが人の下で働いてみた編、モブキャストにいく」となります。ちょうどこのブログ(takashisatoのここだけの話)に移動したタイミングなので、このブログのバックナンバーを読んでいくと断片的に記載する内容が出てきますが、物語風にまとめてみました。
 
以前の回を読まれていない方はこちらから。

takashisato.hatenablog.com

最初から読みたい方はこちらから。

takashisato.hatenablog.com

2010年秋に会長を退任する直前にふとしたことからちょこちょこ遊びに行くようになっていた数少ない友人の一人にモブキャストの藪社長がいました。(その昔実は株主だった)彼とは以前IVSに参加する飛行機の座席で隣になったことが縁で付き合いが続いていました。
 
彼の会社は、ソーシャルゲーム事業では一歩出遅れていましたが、ソーシャルゲーム「Webサッカー」を大手SNSにはまったく依存せず展開している独自性がありました。
 
このユーザーの増え方にもともと興味があったのですが(W杯南アフリカ大会の決勝戦の前日が全盛期で1日バイラルで数千人規模で増えていた)、今後の自分の経験を考えて、一度オーナー社長の下について働くことを通じて、これまでの代表として会社を前に進めてきた経験を振り返ったり、自分に新たな気づきが得られるのではと思い、彼に誘われるがままにモブキャストに取締役として参画することになりました。
 
こうした経緯で遅ればせながら自分もソーシャルゲーム業界の一員になりました。
 
「入社後はあまり外の人たちとは関わりを持たずに結果が出るまで最低半年はがむしゃらにやれ」と彼にアドバイスされ、プロ野球ゲームを立ち上げたり、1人の開発者と一緒にソーシャルゲームからプラットフォームを逆に構築したりする仕組み作りを粛々とすすめました。
 
ところが2011年春、そこであの東日本大震災がやってきました。(個人的には結婚式のわずか2週間後だったのでとてもびっくりした)
 
社内もざわめき、業界も委縮モードとなりここまでかと思いましたが、ここでリーダーシップの真髄を思い知るのです。藪社長はいまこそ勝負どころだとして会社を引っ張り我々を前に突き進めました。リーダーは時には孤高であろうとも堂々と強く言い切らなければならないと強く痛感した瞬間でした。
 
また同時期に彼が参加したカンファレンスにて「これからはandroidの時代が来る」と判断し、震災前から決めていた春先からのプロ野球ゲームのマーケティング攻勢をより大きな成功とするため、自社プラットフォーム事業と並行して進めていた大手SNS向けのゲーム開発ラインをすべて閉鎖し、自社プラットフォーム向けゲーム配信のスマートフォン対応人員に組み替える組織変更を断行しました。
 
この機転のよさがそのまま堅実に事業推進を進められることにつながり、その結果モブキャストはそのまま事業拡大に成功しました。ゲームをあまり強化していなかった時期のミクシィミクシィプラットフォームと連携していないソーシャルゲームが外部ゲームサイトということで認められて広告を大量投下しできたり、テレビCMに数億円を突っ込んで事業拡大ができる幸運にも恵まれまれました。
 
勝負どきはどういうことなのか、というのはやはりどの会社でも事業でもあまりかわらないもので、今までの自分の経験を相対化するよい機会となりました。
 
中でもプロ野球ゲームはかなり順調にいきました。その後コナミさんやgloopsさんも参入してきましたが、スマートフォン向けのネイティブアプリが登場するまでは、三強ゲームのような形でユーザーの方に認知いただくことに成功できたのではと思っています。モブキャストは外部プラットフォームに依存しない直営のゲームだったので、プラットフォーム決済手数料分利益が出ているのだから、この既得権の立場を生かして躊躇せず広告を徹底投下するべきだと、藪社長に進言していました。(当時プラットフォーマーであったグリーやDeNAは大人の事情で直営ゲームとしては参入してこなかった)
 
そして参画が1年半後のタイミングの2012年6月に会社が上場することになりました。その後も海外展開の担当をさせてもらったり、2013年には買収した会社の社長となって事業統合を推進したりと、これまでの未開拓分野の経験をさせてもらいました。
 
そして一区切りとなった40になる直前に、任期満了で取締役を退任し、これまでの経験の集大成としてスマートアプリを創業しました。最初の創業メンバーは、ビットレイティングス急拡大期に早稲田大学生だった稲垣くんでした。
 
そしてこの秋、新たに準備中の事業が立ち上がり、いよいよ新しい会社の本番が始まります。(つづく)

シリアルアントレプレナーとして自分が今までやってきたことをふりかえる (その4 33歳ぐらいのころ)

自分のこと 仕事のこと モバイル・ネットのこと
前回からの続きです。第四回。以前の回を読まれていないかたはこちらから。

takashisato.hatenablog.com

 
2004年秋ソフトバンクがボーダーフォンを買収。彼らがヤフーとの融合施策を中心にして展開し、それを契機としてモバイル業界とPCネット業界の融合が加速しました。
 
それでも着うたフルに代表されるコンテンツビジネスの頂点にあった公式メニューのいわゆる「管理されたインターネット」に外部から自由なインターネットをもたらす各種仕組みを通信キャリア自らが導入するのは少し先だろうと思い込んでいました。定額制ケータイが導入されて、コンテンツビジネスの市場規模が踊り場に差し掛かるタイミングなのではないかと甘く見ていました。
 
なので、そうした見方を自ら破壊者となって変えていく当時のKDDIは勢いがあったわけですし、その後GREEとの資本業務提携に進むのでした。それは2006年秋のナンバーポータビリティ導入を控え、攻めの彼らのスタンスだったわけです。
 
とはいえ、今度はここが契機となったのかよく知りませんが(?)imodeがiMENU内で外部検索エンジン向けにメニューを解放に踏み切りました。当時のiMENUの構成は外野から見ていて利権の固まりみたいなイメージがあったので、これはこれでまたすごいことになってきたと思いました。
 
時は2006年5月のNILS札幌2日目。5年ぶりのすすきので前日飲み過ぎて寝ぼけながらカンファレンス会場に行くと、朝刊トップに「DoCoMo 外部検索エンジンを解放」という趣旨の記事が載った日経を血相を変えた尾下さんが持ってきました。当時はDoCoMo向けサービスをほとんど展開していなかった状況ではありましたがその場で担当責任者を血眼で探そうということなり2週間で契約にこぎつけギリギリセーフ。自分の個人の携帯もKDDIからDoCoMoに切り替え、imodeのユーザーを一気に拡大してユーザーを増やしていく戦略を突き進めることになりました。
 
そしてさらに事態は動きます。月末にある方を通じて一通のメールが届きました。
 
それはとある中国のモバイル検索エンジンの案内でした。ほぼ日本語化が対応して日本市場への参入を今かと待ち構えていたときでした。googleに続き、新たな黒船来襲かと思いましたが、聞くと日本法人の代表はIさんという方がやっているとのことでした。
 
おやっと思ったのはほかでもありません。Iさんは、2003年の創業当時間借りしていた私の隣の部屋でとあるプライベートファンドの運用をしていた方だったのです。
 
ほかにも偶然が重なったため、これまでの人生経験のカンから、彼に言われるがまま、彼らの開発拠点がある北京の中関村に出かけることになりました。31歳にして初の中国です。
 
何より衝撃的だったのは、当時の北京の都市の勢いや、紹介してもらった何名かの中国の勝手サイトの起業家の熱意と(自分たちの世代とよく似ていた)、彼らの開発力でした。このまま東京で(悪く言えば)職人的にマイペースでやっていては、今回の検索エンジンの件に関わらず、いずれ海外のプレイヤーと戦える力を持たないと、事業成長が止まると実感しました。
 
一方で、google以外にもこの分野にガチンコで戦う会社がいることに勇気付けられ、まだまだ戦えるとの確信を持ちました。
 
そして気を取り直して国内に戻り再び事業推進に邁進することにしました。同時期にこのタイミングで出向で来てもらっていた尾下さんに、頭を下げて転籍してもらいました。
 
それ以外にも自分を奮い立たせる事象はありました。
 
例えば、あるときを境にトップページ以外から、大量のユニークユーザーがやってきていることに気がつきました。実際google検索結果に掲載されていた当社のサイトがSEO効果によって大量にユーザーがもたらされたわけでしたが、副次効果でDoCoMoユーザーの獲得が一気に進むことになったのはなぜか皮肉でした。検索エンジンに他社の検索エンジンの結果がのるぐらい当時のgoogleのモバイル検索エンジンアルゴリズムはたいしたことはなかったのです。
 
というわけで、その後は、検索エンジン・ポータル事業を中核に、数十サイトの公式課金コンテンツ事業と、自社メディアを中心に、数十億の広告を配信するアドネットワークを構築し、自社メディア広告・他社メディア広告(ad platform)・自社課金と事業ポートフォリオを多角化していきました。ブログを書いていた縁で本まで出させていただきました。
 
そこそこ国内事業者の中で大手にのしあがったところだったのですが、それでも時間がたつにつれ、googleのパワーには勝てず専門検索サービスとして検索事業をマネタイズ化し、コンテンツ事業事業拡大の中で次の一手を模索する流れになってきました。一方で後ろからやってきたモバイルSNSが強力な吸引力となって勝手サイトのトラフィックを巻き込むようになりました。
 
別の問題も起こりました。2007年秋に起こったフィルタリング問題です。かねてからモバイルインターネットの庶民性に着目していた自分としては、社会的影響力が大きい我々の業界はいつしか政策的な規制が入る予感がありましたが「今なのか、、、」という感じでした。当時規制の直撃を受けたのは、我々ではなくSNSでしたが、勝手サイトへのアクセスがいつ全面的に規制されてもおかしくない状況になりました。
 
このような過程の中で、このままではユーザー拡大が止まり事業停滞が起こると考えるようになりました。
 
そんな中、2008年に入り3Gが立ち上がろうとしていた中国にこのタイミングで現地パートナーと協業して展開出来れば、事業成長に限界が見えていた会社全体にとって新たなフロンティアになるのではないかと考えました。
 
そんな最中リーマンショックも発生。それをものともせず上場したグリーは凄かったわけですが、中国への出張で何度も成田から搭乗したANA767型機の乗員が自分含めて数人しかいなかったのを見て、これからどうなるのだろうと思ったこともありました。それでも社長から会長になり自ら海外赴任することにしました。33歳で代表取締役会長とは実に変な響きでした。
 
そんな中、経営の進め方の認識の違いから、創業者兼大株主として会社に対して責務をこのまま果たしていけるのか次第に思い悩むようになりました。
 
会社の売却も考えましたが、他の経営陣が自分たちで突き進みたいとの思いもありました。数年間にわたり困難を乗り越え一緒に会社を前に進めてきた仲間として彼らを尊重したいと思ったのと、会社を取り巻くすべてのステークホルダーの方々にとって「総合的」に最もよい決断をということで、自分が身を引くことにしました。
 
しかし退任するにあたり、過去に資金調達したことが問題とされ、内外のさまざまな方々にご心配をおかけすることになりました。そもそもの資本政策の進め方や、投資契約を締結して調達した外部資本のもつ責務や重みなど、もろもろ個人的にはとても勉強になりました。この過程で悩んでいるときに当時付きあっていた彼女の前で泣いたこともありました。数年後そんな自分についてきてくれた彼女と結婚しました。
 
その後2010年秋に代表取締役会長を退任、1年後にエフルートは上場企業のアクセルマークと合併し、静かに解散会社となりました。最後の取締役会がおわったのち尾下さんから電話がかかってきて、中野坂上のとある居酒屋で夜中まで飲んで昔話をしました。(つづく)
 
追伸 その5を書きました。

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シリアルアントレプレナーとして自分が今までやってきたことをふりかえる (その3 30歳ぐらいのころ)

自分のこと 仕事のこと モバイル・ネットのこと

前回からの続きです。第三回。以前の回を読まれていないかたはこちらから。今回からエフルートの話です。 

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ビットレイティングスは、モバイルWebを主戦場として事業拡大を目指してスタートしました。表参道から西神田に移動していたICPの事務所の自動販売コーナーの一角にスペースを借りて会社がスタートしました。最初は個人で運営し既にMAUが5万人を超えていたEZweb向けのランキングサイトを生かし、それを会社の事業として多角化していく方針でした。
 
早速創業2ヶ月目にEzwebのオープンサイトの審査が通り(オープンサイトに掲載された検索サイトのうち2つを私が立ち上げたのは変な気分でしたが)「公式メニューに掲載される勝手サイト」という既得権を獲得し、そこからユーザーの増え方が変わりました。さらにその2ヶ月後、会社を設立するきっかけとなった噂のパケット定額制のサービス(WIN携帯)がはじまり、PV数がものすごい勢いで増え始めました。
 
とはいえ会社を立ち上げて3ヶ月目ぐらいがCFの底で資本金300万で立ち上げた会社は預金残高が30万円をきったりしましたが、その後は順調に回復しました。
 
ただこのタイミングで再び持病のアレルギーの疾患が悪化し体調を崩してヘルペスとなり、半年ほど実家で静養しながら事業の運営をしていくことを強いられてしまいます。入院中のベットでノートPCにAirエッジを接続して遠隔操作でapacheを再起動したり、広告枠の設定を切り替えたりしながら、少しずつサービスが大きくなり売り上げが増えていきましたが、とはいえ、社員2人で売り上げが300万程度でした。
 
そんなこんなで会社が少し軌道に乗り始めた2004年春、オープンサイトの掲載順位はユニークユーザー数で決まるのですが、2人で運営していた我々のサービスは、Yahoo!モバイル、BIGLOBEに次ぐ3位の位置にいました。当時広告主は消費者金融か公式コンテンツ事業会社でなかなか売り上げが上がらず苦戦していました。それだったら自分たちでユーザーを直接送客して公式コンテンツ事業を運営しようと思いました。増資して資本金を1000万にして体制を強化し、協業する会社にも恵まれ、2004年秋に公式コンテンツ事業が始まりました。
 
この事業がそれまでの広告事業とは次元の違う形で儲かりはじめました。社員が5人しかいないのに売り上げがどんどん増えていきます。またこのタイミングでEZwebの公式メニューの編成が大きく変わり、オープンサイトの掲載位置が優遇され、その後2006年6月まで、全盛期では1日2000〜4000人の流入を獲得することができるようになり、サービスは大きく成長しました。
 
これを機に会社を仕組み化して、ユーザー集客が通信キャリアに依存せず、収益も通信キャリアに依存しなくてもいい状況を作ろうと思い立ち、社会保険制度を整備して社員を増やし、開発者も本格的に採用し、間借りオフィスを飛び出し、事業拡大に突き進むことになりました。またこの過程で、創業から会社を支えてくれたICPから出向で来ていた渡さんにかわり、尾下さん(現アクセルマーク社長)という新しい経営パートナーに出会いました。
 
2005年になると、ネット業界が再び活気だちweb2.0ブームもやってきました。NILS(今のIVS)に参加するようになったのはちょうどこの頃です。モバイルwebにトラフィックが加速度的に集まり、それを謳歌するようなサービスとして、news cafeやモバオクのようなサービスも登場してきました。
 
directory型の検索エンジンと、ランキングサイトを母体に事業運営していた自分たちですが、またしても別の大手ネット企業から買収の話がやってきました。今回は5年前の10倍以上の金額でした。
このタイミングでは事業拡大期だったので、より大きな組織の中で戦うことでより大きな戦いができるのではと思い興味を持ちました。しかも一緒に働いて魅力的な組織に見えたので、立ち上げ屋としてはほぼ売却に傾いていました。
 
ただ独自事務所を構えたあたりから急速に人員が集まり始めたことで、自分と会社の仲間にもう少しかけてみようと思い立ち、その後買収の話を断ってしまいます。当時取締役になってもらった尾下さんと資金調達に動き、先行していたCROOZと同じくモバイル検索エンジンを中核にして事業拡大をしていくストーリーで最終的には4億円の資金調達をして会社のアクセルのスピードを速めます。
 
このタイミングで、海外製のクラスタリング検索エンジンの仕組みを導入したり、社内にいたスーパープログラマーと独自の検索アルゴリズムを作ったりして、検索エンジン事業に自分が陣頭指揮をとって前に進めていきました。(この頃いろいろ考えたメモが今でも自宅にも残っていて事業構築のネタ帳となっています)1年前に間借り事務所から独立した事務所も手狭になり、2006年4月に市ヶ谷に引っ越した一ヶ月後思わぬ事態がやってきました。
 
新型の検索エンジンの公開を一ヶ月後に控えた5月上旬のとある日、出社直後の私の携帯にとある方から連絡がありました。
 
「さとうくん、おわった。黒船が来たよ。止められなかった。」
 
google newsで「google KDDI」と検索すると「本日午後KDDIgoogleが業務提携のため六本木のグランドハイアットにて記者発表」というニュース記事を見つけたのでした。(つづく)
 
追伸
その4のブログを書きました。

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シリアルアントレプレナーとして自分が今までやってきたことをふりかえる (その2 20代後半のころ)

自分のこと モバイル・ネットのこと 仕事のこと
前回のつづきです。読まれていない方は前回からお読みください。

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我々はインキュベーターであると説明するVCの方(当時は副社長だった石部さん)からの話では、私が運営している事業事業化が先行していたOH!NEWのように可能性があるから(当時彼らはNTTレゾナントに6億円で買収されそうになった)一緒にその事業拡大に専念して大きくしようという話でした。
 
サラリーマンをやりながら週末にサービス運営をしていた自分にとっては、本当にそれに価値があるのか、片手間に事業計画を作ったりしながら、サラリーマンを辞めまで踏み込む価値があるのかということに悩みながら、サービス運営はそのまま続けてユーザーはどんどん増えていきました。
 
そんなこんなでいろいろやっているときに、当時はまだマークシティにあったCAモバイルの小野さんと知り合う機会がありました。2000年12月の頃です。ちなみにこの方は当時からモバイルサイトのことにやけに詳しくビジョンもあり、事業推進についてもいろいろできそうな人でその後モバイル業界の重鎮となられる方です。当時CAモバイルはWAP向けの広告商材はほとんど取り扱っていなかったのですが、どういうわけかとても懇意にしてくれました。
 
そのタイミングで、たまたま2chをWAP向け携帯から使えるようにというコンセプトで作ったitokyoをもじってつけたitokioという名のスレッド型携帯専用掲示板サイトを立ち上げようとしていた話を彼にしたところ(当時はWAP向け端末からまともに使える無料のコミュニティサイトがほとんどなかった、wapnavi.netからユーザー送客してコミュニティとして拡大できるのではと思っていた)その話を面白がってくれ、小野さんは数万人のユーザーをほぼ無償で流してくれました。これが起爆剤となり掲示板サイトは無事離陸しました。
 
この掲示板を通じて、自分が接点を持ち得なかった携帯サイトのエンドユーザーの方といろいろと知り合いになることになりました。ガテン系の仕事をされている方や、深夜仕事をしている専門職方や、専業主婦の方や女子中学生の方などなど、PCを持たず高額の通信料を払ってもなお携帯だけでインターネットを活用する人たちがたくさんいたことに個人的にはとても驚きました。
 
また、検索サイトは交差点サイトのような感じで、たくさんの利用者が浅く使うのですが、掲示板サイトは一定の人たちが濃く使うというものでした。運営の仕方も、収益の上げ方もまったく異なる双方を一人で運営していくという経験もできました。わかってはいたことなのですが、掲示板サイトのほうは広告の売り上げなどはあがらず、逆にシステム的にはすぐに負荷がかかったりするようになったり、投稿内容を管理したりすることになり、次第に運営を圧迫していくことになりました。
 
それでも、掲示板サイトのヘビーユーザーの方になるとパケット通信料を毎月10万円以上支払って利用してれる人が数千人いらっしゃったりするような状況だったので、自分が作ったサービスをそんなに依存して使ってくれているサービスがただ嬉しくて、体がもつ限り喜んで運営していました。
 
VCの人との話し合いは続け、その過程で知り合ったとある携帯向けグリーティングカードサイトの運営会社と一緒に事業をやっていこうという結論になりました。このタイミングで私の人生で唯一のサラリーマン人生も終わりました。ただその後体調をくずしたり、先方の社長さんとの見解の相違で、結局半年程度で喧嘩別れすることになりました。このときに事業提携の難しさを知ったのと、個人対会社で契約する難しさを経験することになりました。また喧嘩別れをするときどういうことが起こるのかということもよくわかりました。
 
その後サービスは大きくなったのですが(パケット定額制でない時代で、それぞれPV数は数千万規模になりましたので当時ではなかなかの規模だったと思います)運営に疲れ持病のアレルギー疾患がピークだったため、検索サイトと掲示板サイトは別の会社の方に譲渡し、モバイル業界の急激な発展もひと段落したところだったので休学していた大学院に復学しました。検索サイトのほうはEzweb公式メニューのオープンサイト(yahoo!モバイルなどの公式サイトではない携帯サイトが入れる枠がEZwebにはあった)として認定されて事業が拡大しました。
 
大学院では、掲示板サイトと検索エンジンの運営でわかった携帯ユーザーの動向を修士論文としてまとめ、教授面接では大学院では経済誌に書くような修士論文を書く場所ではないと断罪されながらも無事卒業することになったのですが、そのタイミングで自分は今後何をするべきか、今までの自分は大学院を休学し体を壊してまで何をしてきたのか、ということに悩みました。
 
体を壊してまで踏みこんだモバイル業界からはなれる決断をするのか悩んだのですが、これまでの経験を糧により大きなことを実現することが重要ではないかと思うようになりました。
 
そこで、経験を生かせるポジションで就職活動をするべきかと思い、就職活動も兼ねて複数の方々にお会いするのですが、その中の一人に以前世話になったICPの石部さんがいました。彼はうちに就職してモバイル業界の投資担当者になるぐらいなら、親を説得して自分のために両親がとってある結婚資金をぶんどってくるぐらいのことをして、自分で自分が立ち上げる会社に投資して事業をやれと言うのです。
 
今までずっと個人で携帯サイトを運営してきた経験として生かし、リベンジとして会社として事業としてサイトを運営してみようと思ったことはあったのですが、少々驚きました。特に事業のネタらしいネタもないのに、まずは会社を作れ、起業しろすべてはそれからだと彼は言うのです。
 
いろいろ考えた挙句、それをするには自分を突き動かす何かおおきな大義のようなものが必要だと思いました。
 
自分は好奇心旺盛だと思うのですが、あきっぽいところがありました。そんな自分自身をおいつめてまじめにやらないと経営はうまくいかない、会社をやるとはそんなに甘いことではないと思いました。しかも当時は2003年にはいったばかりで、ネット企業がネットバブル崩壊後、死滅しきった冬の時期です。
 
そこでふと同じタイミングでパケット定額制の時代が来るのではないかという話を耳にしました。
 
その話を聞いたとき、ソフトバンクで展開したヤフーBBによってADSLが一気に普及し、PCインターネットが大衆化したのと同じことがモバイルインターネットの世界においても起こりうることを感じました。10万円以上の通信料を払うユーザーを見てきた自分にとって、モバイルインターネットのステージが大きくかわるような気がしました。
 
そのチャンスを感じたタイミングと、モバイルインターネットユーザーこそが、過去に自分が運営してきたサイトで出会った多様なユーザーの方々こそが、私の考える「インターネットを普通の人の感覚で使う庶民」であると思い、それをよりよくすることに大義があると思いました。
 
有料コンテンツを配信する公式コンテンツ事業や、無料着メロがメールで届くメディアではなくではなく、モバイルインターネットの利用促進の中心にはモバイルWebがあると思いそれを利用者のためにいいサービスを提供したり流通を加速・拡大していくことこそが、新しい時代を作るのではないかと思いました。これこそが自分を突き動かす大義になると思いました。
 
その思いを2003年3月に表参道のバーで夜中の3時までグテグテになりながら力説したところ石部さんは聞き入れてくれて投資しよう、一緒に会社を立ち上げようと言ってくれました。彼はファンドからではなく会社から直接投資すると言いました。
 
最後の壁はお金を借りてこなければならない両親でした。彼らは私がやっている仕事をパソコンかぶれのコンピューターオタクの道楽だといってなかなか理解してくれませんでした。実家に戻って地元の学習塾の教師をしろと言う始末でした。
 
たまたま手元にあったコカコーラのペットボトルについていた携帯向けサイトのキャンペーンの応募シールを見せ、モバイルインターネットはこうして着実に身の回りにサービスとして浸透しているしこれにチャレンジしないのはおかしいといって(むちゃくちゃな論理だったけど)、最後は泣きながら説得しました。
 
人生で最初の起業ビットレイティングスを創業したのが、その後まもなく2003年7月のことでした。28歳になったころです。(つづく)
 
追伸
その3の記事を書きました。

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